炭都・宇部の歴史を今に伝える、日本初の石炭記念館
宇部炭田の歴史
西暦 | 和暦 | 主なできごと |
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1469 | 文明元 | 筑後国三池郡稲荷山(現在の福岡県大牟田市)で"燃える石"を発見。 |
1645 | 正保2 | 俳人・松江重頼が記した俳諧論書『毛吹草』に「舟木 石炭 干漆ニ似、当所薪灯ニ用之」の記述。このころ常盤原(現在の常盤湖)周辺でも採掘が行われていた。 |
1698 | 元禄11 | 常盤湖が完成。 |
1778 | 安永7 | 三田尻村の小倉屋中左衛門が豊前国曽根浜(現在の福岡県北九州市)から三田尻大浜塩田に塩釜築法を伝習。石炭焚きの製塩法が周辺に普及する。 |
1789 | 寛政元 | 長州藩が三田尻塩田に入荷する九州炭に課税。有帆炭を保護する。 |
1840 | 天保11 | 宇部村亀浦の百姓、向田七右衛門、九重郎兄弟が"南蛮車"を発明。 |
1868 | 明治元 | 長州藩が石炭局を設置、石炭の生産販売を直営。 |
1869 | 明治2 | 政府が「鉱山解放令」を布告。 |
1871~ | 明治4~ | 宇部で大派層、五段層などの主要炭層が相次ぎ発見される。 |
1872 | 明治5 | 政府が「鉱山心得」を公布。鉱物を国の所有物とし、採掘は国民の請負稼業と規定。 |
1873 | 明治6 | 福井忠次郎ら、小野田石炭会社を設立。厚狭郡の石炭借区権の大半を掌握。 政府が「日本坑法」を公布。鉱物の国有を明示し、試掘1年、借区15年、鉱区税の納入などを規定。 |
1876 | 明治9 | 宇部村の旧領主・福原芳山が福井忠次郎らから、宇部村の石炭鉱区を回収。 |
1886 | 明治19 | 藤本晋一ら士族、地主、炭鉱経営者らが宇部共同義会を設立、石炭鉱区の統一管理と社会事業を実施。 宇部の船大工・ 和田喜之助 が竪坑 蒸枠 を発明する。 |
1890 | 明治23 | 宇部の船大工・和田喜之助が斜坑蒸枠も考案する。 |
1891 | 明治24 | 河村喜平ら、潟炭鉱を創立。蒸気巻上機を採用し、海底採掘の企業化に成功。 |
1897 | 明治30 | 渡辺祐策が沖ノ山炭鉱を創業。(匿名組合組織) |
1907 | 明治40 | 高良宗七が西沖ノ山炭鉱を開削。 |
1908 | 明治41 | 藤本閑作が東見初炭鉱創業。 |
1911 | 明治44 | 沖ノ山炭鉱、西沖ノ山炭鉱が長壁式採炭を導入。 |
1915 | 大正4 | 東見初炭鉱で海底陥没事故発生。(殉職者235名) |
1920 | 大正9 | 沖ノ山炭鉱、西沖ノ山炭鉱本坑を買収。 |
1921 | 大正10 | 11月1日、宇部村より一躍、市制施行。 |
1935 | 昭和10 | 宇部鉱業本山炭鉱創業。 |
1942 | 昭和17 | 長生炭鉱、水没事故が発生。(殉職者183名) 宇部興産株式会社設立。(沖ノ山炭鉱、宇部鉄工所、宇部セメント、宇部窒素が合併) |
1944 | 昭和19 | 宇部興産、東見初炭鉱を合併。 |
1947 | 昭和22 | 村田四郎が常盤炭鉱を創立。(~1954年)(現在の宇部自動車学校付近) |
1956 | 昭和31 | 沖鉱区開発し、沖ノ山と東見初連絡坑道開通。 |
1957 | 昭和32 | 沖鉱区に電車坑道開通。 |
1965 | 昭和40 | 西沖ノ山鉱業所閉山。 |
1967 | 昭和42 | 宇部鉱業所閉山。 |
1969 | 昭和44 | 11月1日、宇部市石炭記念館開館 |