メニュー

ときわ公園

logo
HOME > 石炭記念館 > 宇部の炭鉱遺産

炭都・宇部の歴史を今に伝える、日本初の石炭記念館

宇部の炭鉱遺産

沖ノ山電車竪坑石垣

沖ノ山電車竪坑石垣

明治30年(1897年)に創業した沖ノ山炭鉱は、明治43年(1910年)に海底炭田の採掘に着手し、大正4年(1915年)には沖合に人工島「百間角」を構築。さらに大正11年(1922年)には、人工島の南500mの海中に大派竪坑、五段(いつだん)竪坑を掘削して本格的に海底炭田の採掘に乗り出しました。

沖ノ山電車竪坑石垣はその大派竪坑の櫓の基礎であるとともに、坑口を保護するものとして大正14年(1925年)に建造されました。櫓は昭和39年(1964年)に改修されましたが、建造当時の原型を忠実に残しています。名称は昭和28年(1953年)に電車坑道(約220メートル)まで竪坑が追加掘削されたことが由来で、宇部市に現存する数少ない初期の産業遺産として平成9年(1997年)に国の登録有形文化財に指定され、平成19年(2007年)には経済産業省の近代化産業遺産に認定されました。

※但し、一般公開はしていませんので見学希望の方は、宇部興産株式会社宇部渉外部へお問い合わせ下さい。

渡辺翁記念会館

渡辺翁記念会館

宇部市発展の父と呼ばれる渡辺祐策(すけさく)翁(1864~1934)の名がついた会館です。渡辺翁は明治30年(1897年)に沖ノ山炭鉱を創業し、続いて宇部新川鉄工所(後の宇部鉄工所)、宇部紡織所(後の宇部紡績)、宇部セメント製造、新沖ノ山炭鉱、宇部電気鉄道、宇部窒素工業を次々と創業し、限りある石炭から無限の可能性を秘めた工業の転換に力を注ぎました。昭和9年(1934年)に渡辺翁の遺徳を記念して会館の建設が計画され、昭和10年(1936年)に着工し、昭和12年(1937年)の完成と同時に、宇部市に寄贈されました。設計は日本を代表する建築家、村野藤吾氏によるもので、平成17年(2005年)に国の重要文化財、平成19年(2007年)には経済産業省の近代化産業遺産に認定されました。

ヒストリア宇部

ヒストリア宇部

昭和14年(1939年)に建てられた旧宇部銀行です。石炭産業を基幹として急速に発展する地域経済を支えるために、明治45年(1912年)に開業した宇部銀行は、すべての株主が当時の宇部、藤山両村民という文字通りの地元金融機関として宇部市の地域産業発展に多大な貢献を果たしました。平成19年(2007年)に経済産業省の近代化産業遺産に認定されています。建物の設計は日本を代表する建築家、村野藤吾氏によるものです。

桃山配水計量室

桃山配水計量室

沖ノ山上水道施設の一つです。石炭産業の発展による急激な人口増加に伴い、沖ノ山炭鉱は独自に炭鉱や社宅への給水工事を計画し、同時期に宇部市でも上水道敷設を計画し、大正13年(1924年)に沖ノ山上水道が完成後、大正15年(1926年)宇部市に譲渡されました。厚東川上流から取水された水は、浄水場で処理されたあと、丘陵地にある配水池に汲み上げられ、自然流下を利用して市街地に給水されました。

桃山配水計量室は市街地への給水量を計る施設として建設されたものです。ゴシック調桃色レンガの建物で、実際は八角形ですが「六角堂」と呼ばれ市民に親しまれています。平成9年(1997年)に国の登録有形文化財、平成19年(2007年)には経済産業省の近代化産業遺産に認定されました。

旧桃山一号配水池監視廊入口

旧桃山一号配水池監視廊入口

沖ノ山上水道施設の一つです。石炭産業の発展による急激な人口増加に伴い、沖ノ山炭鉱は独自に炭鉱や社宅への給水工事を計画し、同時期に宇部市でも上水道敷設を計画し、大正13年(1924年)に沖ノ山上水道が完成後、大正15年(1926年)宇部市に譲渡されました。厚東川上流から取水された水は、浄水場で処理されたあと、丘陵地にある配水池に汲み上げられ、自然流下を利用して市街地に給水されました。

旧桃山一号配水池監視廊入口は配水池の貯水を管理するための施設として建設され、当時流行したゴシック様式で装飾されたこの建物は、昭和62年(1987年)に展望塔つき配水池が建設されるまで使用されました。平成9年(1997年)に国の登録有形文化財、平成19年(2007年)には経済産業省の近代化産業遺産に認定されました。

常盤用水

常盤用水

厚東川より常盤湖、東部工業地区をつなぐ用水路です。元禄11年(1698年)に灌漑用の溜池として整備された常盤湖でしたが、明治以降、石炭関連の工業化が進むなかで、工業用水としての利用計画が上がります。しかし、当時の常盤湖には集水する大きな河川がなく、貯水量が潤沢ではなかったため、地元の農業関係者による強硬な反対を受け、計画は難航しました。そこで山口県が「県営宇部市常盤池用水改良事業」を提案し、昭和13年(1938年)に起工、昭和18年(1943年)に完成しました。これにより厚東村末信(現・宇部市末信)から常盤湖まで8,500mに及ぶ導水路と、常盤湖本土手から宇部曹達工業までの3,570mの水路が設けられ、常盤湖の水は農業用水のほか、工業用水としても利用されるようになりました。平成19年(2007年)には常盤用水の放水、受水関連施設が経済産業省の近代化産業遺産に認定されました。