炭都・宇部の歴史を今に伝える、日本初の石炭記念館
石炭記念館ブログ
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石炭記念館 見どころ紹介!⑤ 「宇部炭田の発明品[その1]~南蛮車~ 」
宇部地域でいつ石炭が発見されたのか。
それを示す明確な史料は現在のところ見つかっていませんが、少なくとも江戸時代前期ごろには採掘が行われていたと考えられています。
以来、昭和42年(1967年)に宇部からヤマの灯が消えるまで、炭都・宇部の歴史は続きました。
石炭を掘り出す作業というのは大変な重労働です。特に機械なども無い時代は採掘や運搬などすべてが手作業です。
また、宇部地方は平地で、第四紀層(約260万年前から現在までの地層)の下に炭層があるためにほとんどが竪坑で、地下水が多く、石炭採掘の坑口を開いても、湧き水のために採掘できないという場所が多くありました。
そうしたなかで宇部の先人たちは、少しでも労働の負担を軽くしようと装置や道具を生み出し、やがて、これらの発明は宇部炭田発展の大きな原動力となっていきました。
この「宇部炭田の発明品」では、館内の展示でも紹介している宇部の先人たちが知恵を振り絞って生み出した、いくかの装置や道具をご紹介していきます。
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まず今回は「南蛮車(なんば)」についてご紹介します!
南蛮車とは坑内から水や石炭を捲きあげるために使われた人力の捲き揚機で、3~5人くらいの人が撞木(しもく =「しゅもく」が訛ったものと思われる)と呼ばれる横方向へ放射状に伸びた押し棒を持って回転させることで胴体の軸棒に巻かれている縄が坑口の真上に設置した滑車を通じて桶や目籠(めご = 目の粗いカゴのこと。「めかご」が訛ったものと思われる)を引き上げるというものです。
江戸時代後期の天保11年(1840年)に宇部の亀浦というところの農民であった向田九重郎(むかえだ くじゅうろう)とその兄の七右衛門(しちえもん)の兄弟によって考案されました。
この兄弟は仲が良く、手先が器用で、暇さえあれば納屋にこもってコツコツと道具づくりをしていたそうです。
そんなあるとき、弟・九重郎の娘婿が経営する炭鉱で地下水の湧水が多くて困っていることを知り、兄・七右衛門とともに三日三晩考えて作り上げたのがこの南蛮車だと言われています。
石炭記念館では、2階展示室にある「宇部炭田の歴史と民俗」のコーナーでこの南蛮車についてご紹介しています。
ここには、実物の3分の2くらいのサイズで作った南蛮車にマネキンも配置して、南蛮車を動かす「南蛮押し」と、竪坑からあがってきた水や石炭を入れた桶や目籠を取り扱う「はな取り」といった作業の様子が再現されています。
また、坑内外全体のようすを知るには、その手前のケース内にある模型を見ていただくと、よりわかりやすいと思います。
この発明により排水スピードがあがったことで、それまで数メートルしか掘れなかった竪坑が、30メートル以上の深さまで掘ることが可能になり、その後、改良されて石炭の運搬にも使われるようになりました。
そして明治以降、炭鉱の近代化により採掘作業が機械化されてもなお、小規模炭鉱ではこの南蛮車が活躍し、昭和30年代ごろまで使用されていたなど、宇部炭田の開発に多大な貢献をしました。
こうして長きにわたり、宇部の炭鉱で活躍してきた南蛮車ですが、実はこの南蛮車がきっかけで生まれたものがあります。
それが、山口県の民謡として知られている「南蛮音頭(なんばおんど)」です。
もともとは南蛮車の撞木を押してグルグルと回りながら歌われていた「南蛮唄(なんばうた)」という仕事唄があり、それを現代化したもので、昭和4年(1929年)に制定されました。
南蛮音頭の制作にあたっては市民から歌詞を募集し、また、「シャボン玉」や「七つの子」、「赤い靴」などで知られる童謡詩人・野口雨情に補作をお願いするなど、かなり力を入れたプロジェクトだったようです。
現在でも、毎年11月に開催されている宇部市最大のお祭り「宇部まつり」や、学校の運動会でも踊られるなど、宇部市民にとっても大変馴染みのある民謡です。
また最近では、宇部市の市制施行100周年記念事業として、世界的なダンスアーティストであるケント・モリさんがリミックスして新たに振り付けを行なった「ナンバオンド」が制作されています。
そのプロモーション動画が宇部市のYouTubeにアップされていますので、ぜひご覧になってみてください。
■【報道発表】宇部市制施行100周年記念動画を制作しました(宇部市ホームページより)
https://www.city.ube.yamaguchi.jp/houdou/kanko_global/2019/100thanniversarymovie.html
※動画前半は南蛮音頭の曲とともに100年の歩みを写真で振り返るスライド映像。後半は「ナンバオンド」のプロモーション動画で構成されています。
ちなみに「ナンバオンド」のプロモーション動画のなかで石炭記念館の前庭とモデル坑道が出てきますので、こちらも必見です!
それと最後に、屋外展示場の片隅には「向田兄弟の碑」というものがあります。
これは南蛮車発明から49年後の明治42年(1889年)に、七右衛門・九重郎兄弟の遺業をたたえて建立されたもので、もともとは別の場所にありましたが、石炭記念館が建設された際にこちらに移されました。
宇部炭田の開発に多大な貢献した南蛮車。もし向田兄弟がいなければ、そして宇部にこの南蛮車が発明されていなければ、炭都としての発展はなかったかもしれません。
また、今なお市民に親しまれている「南蛮音頭」という宇部の文化を生み出したという点においても、大変重要な発明だと言えるでしょう。