炭都・宇部の歴史を今に伝える、日本初の石炭記念館
石炭記念館ブログ
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石炭記念館 見どころ紹介!⑧ 「宇部炭田の発明品[その4]~改良ツルハシ~ 」
ゆったりとしたペースでちょこちょことご紹介している「石炭記念館見どころ紹介!」シリーズ。
今回は宇部の先人たちが知恵を振り絞って生み出した装置や道具をご紹介する「宇部炭田の発明品」の第4弾ということで、「改良ツルハシ」についてのお話しです。
そもそも「ツルハシ」とは何かというと、先端がとがったかたちをして、固い土砂などを掘るときに使われる道具です。
ちなみにその名前の由来は鶴のくちばしに似ていることからなんだそうです。
ツルハシは石炭を掘るときにも使われており、炭鉱で働く人たちにとって大事な道具でした。
しかし、ツルハシをずっと使い続けると、先がすり減ったり、あるいは固いところに打ち付けると先がつぶれたりして使えなくなるため、坑口の近くにあった鍛冶屋さんに持って行って調整してもらう必要がありました。なので作業現場で使えなくなったときに備えて、常に4~5本ほどのツルハシを担いで坑内に下がっていました。
そのようななかで登場したものが「改良ツルハシ」です。改良ツルハシは文字どおり、従来のツルハシを改良したもので、先(穂先)が取り換えられるようになっていっていました。
これにより現場でツルハシが使えなくなっても古い穂先を外して、新しい穂先と交換すればまた使えるようになるので、わざわざ予備のツルハシを4~5本も持っていかなくても、ツルハシ本体(親ヅル)と穂先をいくつか輪っかに通して持っていくだけで済むようになりました。
その後、改良ツルハシが坑内ツルハシの主流として使われるようになっていきましたが、実はこの改良ツルハシは宇部で発明されたものと言われています。
誰が、どのような経緯でなど詳しいことはわかりませんが、古くから宇部で考案されたものと伝わっており、昭和7年(1932年)に、この改良ツルハシの特許を巡って九州のある産炭地から訴えられるという事態が起きた際には宇部側の主張が認められ、逆に勝訴したという出来事が当時の新聞記事に残っています。
石炭記念館では2階展示室の「宇部炭田の歴史と民俗」のコーナーで、この改良ツルハシを展示しています。
宇部炭田の発明品については長らく「南蛮車」、「蒸枠」、「牛蒡木固」の3つをあわせて「宇部炭田の三大発明」としていましたが、「改良ツルハシ」も宇部炭田の発明だというお声をいただくこともあり、石炭記念館ではここ数年、改良ツルハシも加えて「宇部炭田の四大発明」としてご紹介をしています。
普段は触ることができませんが、団体さんなどで館内ガイドを事前に申請していただいて、なおかつ時間に余裕があったりするときは、実際にツルハシと改良ツルハシを実際に持ち比べてもらうというのもやっていたりしています。
それぞれ持ち比べてもらうと「ツルハシを4~5本持っていくのは大変そう」とか、「改良ツルハシだと(通常のツルハシより)楽だね」といった感想をいただきます。
対応できる時とできない時とありますので、今後、石炭記念館を訪れた際に触れる機会がもしあったら、ラッキーだと思ってください(笑)
これまで「石炭記念館 見どころ紹介!」では宇部炭田から生まれた4つの発明品をテーマにご紹介してきました。宇部と同じく産炭地であった(産炭地である)他の地域も同様かと思いますが、炭鉱開発を進めるにあたっては決して平坦な道のりではなく、石炭を掘る過程や運び出す際、坑内の保安やその土地ならでは問題などなど多くの苦労がありました。そうした障壁を炭鉱人たちは創意工夫しながら乗り越えて石炭産業が発展してきたわけです。こうした発明品を見ていると、炭鉱人たちの高い知識と技術力を感じることができます。