炭都・宇部の歴史を今に伝える、日本初の石炭記念館
石炭記念館ブログ
最近のエントリー
- 石炭記念館 見どころ紹介!⑧ 「宇部炭田の発明品[その4]~改良ツルハシ~ 」(06/04)
- 屋外展示場にある「人車」がこのたび修復されました!(05/13)
- この度、市制施行100周年記念式典において当館にゆかりのある方々が市政功労者として表彰されました(11/02)
- 石炭記念館 見どころ紹介!⑦ 「宇部炭田の発明品[その3]~牛蒡木固~ 」(06/20)
- モデル坑道完成50周年!(10/30)
- 石炭記念館 見どころ紹介!⑥ 「宇部炭田の発明品[その2]~蒸枠~ 」(06/12)
- 石炭記念館 見どころ紹介!⑤ 「宇部炭田の発明品[その1]~南蛮車~ 」(05/16)
- 石炭記念館 見どころ紹介!④「木下幸吉さんと炭鉱(ヤマ)の歌」(05/08)
- 石炭記念館 見どころ紹介!③「モデル坑道」(05/01)
- 石炭記念館 見どころ紹介!②「展望台[その2]~ 展望デッキ編 ~」(04/24)
年別一覧
石炭記念館 見どころ紹介!⑦ 「宇部炭田の発明品[その3]~牛蒡木固~ 」
かなり久しぶりの投稿となりました、この「石炭記念館見どころ紹介!」シリーズ。
今回は宇部の先人たちが知恵を振り絞って生み出した装置や道具をご紹介する「宇部炭田の発明品」の第3弾ということで、「牛蒡木固(ごぼうきこ)」についてお話しします。
牛蒡木固は坑内に海水浸入の兆候が見られた際に、いち早く海水浸入を止めるための簡易の防水ダムの一種で、海底炭鉱であった宇部の地質にあった独特の防水技術です。
石炭記念館では、2階の「いのちを守った道具たち」のコーナーで、12分の1のサイズの牛蒡木固の模型を展示しています。
しかし、この「牛蒡木固」が、どういった状況で、どのような機能を果たしたのか、これを口頭や文章だけで説明するのは、とても難しい・・・。
そこで、できるだけわかりやすく説明できればと、実際に牛蒡木固の現場に関わった方のお話を参考に、牛蒡木固ができるまでの仕組みをイラストにしてみました。
***************************************************************************
①
まず、坑内で浸水の兆候を見つけます。このとき、出ているのは水だけでなく、一緒に泥土も流れ出ている状態です。
繰り返しになりますが、宇部は海底炭鉱であり、海の下に埋蔵している石炭を採掘していた地域です。そのため、初めのうちは少ない量の水であっても、このまま放置していると、天盤のはるか上の方に、流れ出た泥土の分だけ空洞ができ、やがて大きな空洞となり、ついには海水が浸入して大出水事故へとつながってしまう恐れがあります。
②
そこで出水している場所にまず井形に坑木(空木固[からきこ])を組んで天盤を支えて、その後に植物の羊歯(しだ)を坑道にぎっしりと詰め込みます。
そしてさらに、坑道と平行に節くれがなく、できるだけ真っすぐな坑木をハンマーで打ち込んで坑道を塞いでいきます。ちなみにこの坑木が野菜のゴボウに似ていることから「牛蒡木固」の名まえが付けられたと言われています。
③
この羊歯の層と坑木の層を3~4層ほど、繰り返し作ってから、最後に閂(かんぬき)を構築して、坑道にぎっしりと詰め込んだ羊歯や坑木が動かないように固定します。
④
こうすることで、泥土を含まない澄んだ水だけを通し、泥土はその場に留めさせて、流れ出るのを防ぎます。
⑤
そのうちに水が浸入していた亀裂などに泥土が自然と詰まり、やがて海水の浸入が収まります。
***************************************************************************
この牛蒡木固がいつ、誰によって発明されたのかはわかっていませんが、明治45年から昭和21年までの間に、海水浸入の前兆があって早期に閉塞した水災事故66件のうち、この牛蒡木固によって未然に浸水を防いだものが42件あるそうです。(参考文献『炭鉱 有限から無限へ』)
宇部の炭鉱が本格的に海底に眠る石炭の採掘に挑みはじめたのが、明治の中頃からになるので、おそらくこのころ、海底炭鉱の開発を進めていく過程で考案されたのでしょう。
前にご紹介した「南蛮車(なんば)」や「蒸枠(むしわく)」などもそうですが、宇部炭田の歴史は、水との戦いの歴史でもあったのです。
また、これらの3つの発明品をあわせて、「宇部炭田の三大発明」と言われることがありますが、実はもう1つ、宇部炭田で発明されたものがあるんです。
そのもう1つの発明品についてはまた次回、ご紹介したいと思います!