炭都・宇部の歴史を今に伝える、日本初の石炭記念館
石炭記念館ブログ
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石炭記念館 見どころ紹介!⑥ 「宇部炭田の発明品[その2]~蒸枠~ 」
前の更新から少し日にちが経ってしまいました。その間に石炭記念館は6月1日から無事、再開いたしました。展望台については3密の回避のため、引き続き閉鎖中ですが、その他の1、2階の常設展示や地下のモデル坑道は見学できますので、これまでの見どころ紹介を参考にぜひご来館ください!!
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それでは、今回の宇部炭田の発明品は「蒸枠(むしわく)」をご紹介します。
蒸枠とは、以前、モデル坑道の記事でも少しご紹介しましたが、炭鉱を開坑する際、軟弱な地質の場所を掘り下げたときに流れ出る土砂や湧き水を遮断するための工法で、明治19年(1886年)に厚狭郡藤山村(現在の宇部市)の船大工・和田喜之介によって発明された宇部独特の方法です。
宇部地方は平地で、第四紀層(約260万年前から現在までの地層)の下に炭層があるためにほとんどが竪坑で、地下水が多く、石炭採掘の坑口を開いても、湧き水のために採掘できないという場所が多くありました。また、明治以降、採掘場所が内陸部から海岸へと進むなかで、さらに湧き水で苦労することが多くなったこともあり、発明されたのがこの蒸枠です。
竪坑に厚い松板で六角または八角に箱を作り、継ぎ目にマキハダ(※ヒノキやコウヤマキの内側の皮を蒸してなめしたもので、古くから舟や桶の水漏れを防ぐために用いられていました。)を打って舟釘などで固定して防水するもので、地盤との接合はしっくいと岩粉で固めていました。
発明者が船大工であったことから、船を造る技術が使われていたり、外からの圧力に耐えられるように六角形にしていたりと宇部人の知恵と工夫が凝らされています。
さらに4年後の明治23年(1890年)には「斜坑蒸枠」も考案され、竪坑だけでなく海底炭鉱の斜坑でも使われるようになりました。
館内ではこの2種類の蒸枠を復元して展示しています。
まず竪坑用の六角蒸枠は、2階展示室の「宇部炭田の歴史と民俗」のコーナーに、実物の2分の1で復元したものを展示しています。
そして、モデル坑道の入口部分にある斜坑蒸枠です。
また、屋外展示場の片隅には、蒸枠を発明した船大工・和田喜之助の功績をたたえるために造られた「蒸枠記念碑」があります。
大正12年(1923年)に建立されたもので、題字は沖ノ山炭鉱の創業者で、宇部市発展の父と呼ばれる渡邊祐策翁によるものです。
この記念碑の台座の部分に注目してみてください。台座が六角形になっています。
見覚えがあると思いませんか?
実はこれ、竪坑用の蒸枠の形をかたどったものです。先に挙げている復元されている六角蒸枠の写真と見比べてみてください。
蒸枠は、同じく宇部炭田の発明品で民謡の題材にもなった「南蛮車(なんば)」に比べると、知名度はあまり高くないかもしれません。しかし、採掘地域が内陸から沿岸部やさらに海底へと移り始めた近代の宇部炭田にとって、この発明は画期的な技術革新でした。
15年ほど前のこと、市内の工事現場の地中から偶然、蒸枠の一部が見つかったということがありました。もしかすると、私たちの身近な場所に今でも、役目を終えた蒸枠たちが静かに眠り続けているのかもしれません。